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弘前の忍者屋敷、石田三成の子孫が住んでいた 青森大忍者部の調査で判明 - 河北新報

忍者屋敷の調査結果を説明する清川教授 青森県弘前市内で昨年秋に見つかった忍者屋敷に、戦国武将石田三成の子孫が居住していたことが25日、青森大忍者部の調査で分かった。同部は観光資源としての活用を呼び掛けており、全日空は11月、屋敷を含めた三成...

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記事によると

青森県弘前市内で昨年秋に見つかった忍者屋敷に、戦国武将石田三成の子孫が居住していたことが25日、青森大忍者部の調査で分かった。

・調査によると、関ケ原の戦い後、三成の次男重成が津軽地方に逃げ延び、杉山源吾と改名。宝暦5(1755)年の屋敷の居住者を記した地図から、杉山家の子孫である白川孫十郎が住んでいたことが判明した。

・実在した弘前藩の忍者集団「早道之者(はやみちのもの)」は重成の子の吉成によって結成されたことも分かった。杉山家は代々、早道之者を統率し、蝦夷地の調査や監視活動を指揮したとされ、屋敷は拠点として使用されていた可能性が高いという。



この話題への反応



いやそりゃ忍者屋敷と三成がつながるとはおもわんだろwww

なんだかワクワクする

三成の孫が、忍者集団を組織していたとは…

忍者好きの皆さん!どうぞ弘前へお越しください!

藩祖の津軽為信は三成とも昵懇で南部氏との件で恩義あったから子孫を庇護してたらしいからな。

三成の子孫が忍者になっていたってのもすごい話だ。

判明の経緯、根拠が知りたい

もしかして、南部氏から独立する際に三成に便宜を図って貰ったのだろうか?
余程の事情が無ければ三成の子を匿いはしないだろう。











石田三成の子孫にもびっくりだけど、青森大忍者部ってなんだよw