
長瀬智也はボーカルじゃなかった!? 「TOKIO幻のメンバー」の存在
今年の大みそかでSMAPが解散すると、ジャニーズで少年隊につぐ古参グループとなるTOKIO。デビュー23年目突入で、ある意味、長兄ユニットになるわけだ。彼らが、現在の地位を築き上げるまでの道のりは…
記事によると
- 23年の歴史の中で、実はTOKIOにもSMAPでいう森且行のように、“幻のメンバー”がいた。それは、小島啓である。
- 1992年、TOKIOが新ユニットとしてアイドル雑誌に登場し始めた頃、小島は今の長瀬智也のようなポジションにいた。
当初のメンバーは、城島茂、松岡昌宏、山口達也、国分太一に小島という5人編成である。 - ジャニーズタレント史上初にして、TOKIOだけしか達成していない「大阪松竹座で1日10公演」でもメインボーカルを務めたのが小島だった。
- しかしその2カ月後、デビュー記者会見でメインボーカルとして紹介されたのはタンバリンを担当していた長瀬だった。
- 真相はジャニー社長のみぞ知るといったところか。
小島啓さんについて
小島 啓(こじま ひろむ、1976年10月24日 - )は、かつてジャニーズ事務所に所属していた、元・男性アイドル。 TOKIOの初期メンバー。 千葉県生まれ、東京都育ち。
1989年3月26日にジャニーズ事務所入り。
1990年の初めに、国分太一、松岡昌宏、長瀬智也、坂本昌行、井ノ原快彦らと共に「SMAP学園」を結成し、SMAPのバックダンサーを務めた。
1990年4月、「SMAP学園」からの国分・松岡と、TOKIOの前身である「TOKIO BAND」からの城島茂との、計3人で初代「TOKIO」を結成。 少し遅れて小島が加入し、更にしばらくしてから「TOKIO BAND」の山口達也もメンバーに加入した。
1994年、将来有望株として順調にキャリアを積み、いよいよCDデビューも目前に迫った時、突如電撃脱退(理由ははっきりせず、「パイロットを目指しアメリカへ留学する為」、「『○年でデビューできなかったら辞める』と親と約束していた」、「TOKIOメンバーとの不仲」など、諸説ある)してしまい、芸能界から引退した。
穴埋めとして、それまでサポート・メンバーだった長瀬智也が正式加入した。以降、テレビ番組などで彼の名前が出ることは皆無であり、知名度は低い。
(詳しくはWikipediaへ)
反応
長瀬をボーカルにしたじゃニーさんは見る目がある
タンバリンww
パッと見で小島地味だな
正解の判断だった
6人のままだったら島の開拓もっと早くなってそう
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長瀬で本当に良かった
普通にテレビで言っている時代だったしな
それくらい普通の事だった
脱退もそれが原因だろ
だから無能なのよ
ど〜でもいいわ
ポタクとクッキー☆が先じゃない?
なにずれたこと言ってんねん
格安で
ジャニーさんの眼力は凄いのは確か。身内にはダダ甘だが。
さすがに無理だと言うことに気付き
リーダーにギターを教えてもらって
ヴォーカル兼ギターになった
デビュー会見で長瀬がファン前に出たときは
長瀬は小島ファンに卵を投げつけられたらしい
そんな長瀬がTOKIOの顔だからな…
小島が抜けて正解だった
常識だよ
はい、次の記事!
あそこのマネージャーはジュニア崩れ。