ジブリの闇の一つ

『ハウルの動く城』細田守監督降板事件


Wikipediaでは…

細田守さんのWikiより

『ハウルの動く城』と東映への復帰
2000年8月、東映アニメーションよりスタジオジブリに出向し、『ハウルの動く城』の監督として作業に取り組む。2001年に母親が脳梗塞で倒れる。絵コンテはCパートまで完成したが、製作は行き詰まり2002年4月に中止が決定、ジブリを離れることになる。また、他方では「ジブリとの意見の衝突、スケジュールの延期、スタッフの拘束と様々な難事が勃発してしまい、結果的に『ハウルの動く城』の監督から外された」ともされる。

(詳しくはWikipediaへ)



とあるが、細田監督が自ら切り込んだ話をする


引用画像

細田守監督、『ハウルの動く城』をクビになった挫折を振り返る【第29回東京国際映画祭】

人気アニメーション作家・細田守監督が27日、TOHOシネマズ六本木ヒルズで行われた第29回東京国際映画祭内の特集上映「映画監督 細田守の世界 作家性の萌芽 1999-2003 (細田守監督短編集)」に来場し、『ハウルの動く城』(2004)の苦い挫折を振り返った。

www.cinematoday.jp
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記事によると

  • TOHOシネマズ六本木ヒルズで行われた第29回東京国際映画祭内の特集上映「映画監督 細田守の世界 作家性の萌芽 1999-2003 (細田守監督短編集)」に本人が来場し、『ハウルの動く城』(2004)の苦い挫折を振り返った。

  • 「おジャ魔女どれみドッカ~ン!」40話の上映後、聞き手を務めたアニメ評論家・氷川竜介氏から
    「チャンスがあったら飛び移れ、というのは自身を投影しているのでは?」という指摘に、「僕はどちらかというと。飛び移り損ねた方。当時は『ハウルの動く城』の監督をクビになって、もう映画が作れないという気持ちのままに、この40話になだれこんだんです」と告白した
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過去のインタビューによると

細田 本当。本当にそうなんだよね。僕がジブリに行って『ハウル』を作ってる時に、その当時ジブリは『千と千尋(の神隠し)』で大変だったわけですよ。
だから、『ハウル』の準備のためにジブリが割けるスタッフがいなかったの。いなかったんで、自分で集めなきゃいけなかった。作画にしろ、美術にしろね。自分が監督として、スタッフを集めていかざるをえなかったわけ。
「お願いします」と言って、やってもらってたんです。僕はプロデューサーではないから、「気持ち」だけでお願いしてるわけですよね。「あなたが必要なんです」と言ってお願いしているんです。
「『ハウル』は総力戦だ!」と思ってるわけだからさ、「この人がいなきゃダメだ!」と思うような人に、1人1人、お願いしてきてもらっていたんです。ところが諸事情で、プロジェクト自体がドカーンとなったわけじゃない。監督って、プロジェクトが崩壊した時に、スタッフに何かを保証できる立場にないんですよね。
それが崩壊した時に、その人達に対して申し訳ないというかさ。「絶対にいいものを作ります!」と言ってたのに、公約を果たせなかった。ある意味、嘘をついちゃったわけです。
裏切ったわけです。
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宮崎駿インタビュー「Cut」2010年9月号より

『ハウル』は『魔女の宅急便』の時とまったく同じなんですよ。用意したスタッフが解体しちゃったんで、しょうがないから僕が出ていったっていう…。
心情を持って恋愛を描ける人間がやらなければいけないから、監督は若い人がいいと、僕は最初にそう思ったんです。ところが、そうじゃない人がやったから話がややこしくなったんですね。なんか、わけのわかんない映画になってしまうからこりゃいかんと。

だから、乱入したんじゃなくて、スタッフがいなくなっちゃったからなんです。そうじゃなきゃ、お蔵入りさせるしかないっていう状況になってしまって。それで、しょうがないから僕が引き受けたんですよ。

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宮崎駿監督は細田守監督が首になったことを知らないっぽい・・・?
監督をクビにできる人がだれか考えるとやっぱり潰されたん・・・じゃ











「自ら降板」説のほうが濃厚と言われてたけどやっぱクビだったのか
怖ぇぇ・・・





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