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後にナムコとなる「中村製作所」を設立した中村雅哉氏が1月22日に逝去 | インサイド

バンダイナムコホールディングスは、ナムコの元代表取締役会長である中村雅哉氏が2017年1月22日に逝去したことを発表しました。

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記事によると

・バンダイナムコホールディングスは、ナムコの元代表取締役会長である中村雅哉氏が2017年1月22日に逝去したことを発表

・中村雅哉氏は、後にナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)となる中村製作所を昭和30年6月に設立した人物。

・海外では「Father of PAC-MAN」と親しまれている方で、アーケードゲームや家庭用ゲームのみならず、アミューズメント施設やテーマパーク事業、映像関連産業にも関わっていました。

・中村雅哉氏は91歳で亡くなったとのこと。








中村 雅哉(なかむら まさや、1925年(大正14年)12月24日 - 2017年(平成29年)1月22日[1])は、日本の実業家。バンダイナムコエンターテインメント創業者・名誉相談役、バンダイナムコホールディングス最高顧問。東京都出身。

来歴
1948年、横浜工業専門学校(現横浜国立大学)造船科卒業。家業は東京・神田の銃砲店であったが、銃刀法による規制が強いという業界に折り合いを付けられず、1955年に有限会社中村製作所を設立。横浜の松屋デパート(後に横浜松坂屋本店)屋上に事務所を構え、デパートの屋上遊園用遊具製造・管理を手がける。

1971年より中村製作所の英語名(Nakamura Amusement Machine Manufacturing Company)の略称である「namco」ブランドの使用を開始、1977年には社名をナムコへ改める。

1974年にアタリジャパン(旧社)を買収しアーケードゲーム事業に進出、1980年にリリースした『パックマン』が世界的大ヒットを記録。日本アミューズメントマシン工業協会(JAMMA)会長(後に名誉会長)等を歴任する。

2010年、8月8日、「国際ビデオゲームの殿堂」(IVGHOF)に基礎を作った先駆者5名の内の一人として、中村製作所/中村雅哉氏が「パックマン」とともに殿堂入りを果たす。









ゲーマーなら誰もがお世話になっている、現在のバンナムの創設者とも言うべき方

ご冥福をお祈りします