任天堂の竹田玄洋技術フェローが任期満了により取締役を退任



任天堂株式会社:代表取締役等の異動に関するお知らせ
https://www.nintendo.co.jp/ir/pdf/2017/170427_5.pdf
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記事によると

平成 29 年 4 月 27 日開催の取締役会において、代表取締役等の異動について内定しましたので、下記の通りお知らせいたします。



1. 代表取締役の異動(退任)
(1) 異動の理由
平成 29 年 6 月 29 日開催予定の第 77 期定時株主総会の終結の時をもって任期満了により取締役を退任することに伴う代表取締役の退任
(2) 退任予定代表取締役の氏名及び役職名
代表取締役 技術フェロー 竹田 玄洋

2. 取締役の異動(新任)
取締役 上席執行役員 技術開発本部長 塩田 興(現 執行役員 技術開発本部長)
※ 監査等委員でない取締役候補者であり、平成29 年6 月29 日開催予定の第77 期定時株主総会の決議を経て、正式に決定します。
3. 執行役員の異動(役付変更)
上席執行役員 技術開発本部長 塩田 興(現 執行役員 技術開発本部長)
※ 上記株主総会後の取締役会の決議を経て、正式に決定します。
以 上





この記事への反応


竹田 玄洋さんお疲れさまです

任天堂の竹田玄洋さん退社って本当か..。長い間ご苦労様でした。あれだけ長くいる人だとずっといるんだと錯覚するけど、もう定年に近いんだな

竹田玄洋さん退任・引退かあ、ミヤホンは何時になるかな...

え!竹田玄洋さん退社ですか。任天堂の顔が次々と去っていく・・・

6月退社される竹田玄洋さん、任天堂入社僕が生まれる前より前だったんだ。凄いお疲れ様でした。





竹田 玄洋(たけだ げんよう、1949年3月7日 - )は、任天堂専務 技術フェロー。


1971年、静岡大学工学部電気工学科卒業後、三洋電機に入社。1972年、任天堂に入社。岩田聡新社長の体制発足と同時に2002年5月31日に代表取締役専務に就任した。長年、任天堂のハードウェア部門トップを務めていたが、権限委譲などによる後継者育成のため、 君島達己新社長就任などの人事に合わせ、2015年9月16日付で総合開発本部長を退任して技術フェローに就任。後任のハードウェア部門トップは、塩田興技術開発本部長。

1975年にアーケードメダルゲーム『EVRレース』を開発。任天堂社内では横井軍平よりも早くゲームデザインに携わったクリエイターで、名実共に任天堂最初のゲームデザイナーとなった人物である。

レーザークレー、アーケードゲーム等を開発したほか、ファミコン、スーパーファミコンの時代には、カセット内に埋め込む特殊チップや、カートリッジに電池によるセーブデータのバックアップシステムを組み込むバッテリーバックアップシステムの開発を担当(これがなかったら『未来神話ジャーヴァス』『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』などは、パスワード式になっていた)。竹田の開発したファミコン用ROMカセット等に使う特殊チップMMC(メモリ・マップ・コントローラ)の導入によって、『ゼルダの伝説』、『メトロイド』、『光神話 パルテナの鏡』等、より複雑かつ精密なゲームをこなす能力が備わった。

NINTENDO64、64DD、ニンテンドーゲームキューブ、Wiiの設計開発責任者を担当しているなど、任天堂のハードウェア製作の中核を担う人物の一人だが、アーケード版の『パンチアウト!!』などソフトウェアの開発も行っていた。NINTENDO64では、宮本茂と共に、3Dスティックも開発。Wiiでは宮本茂らと共に、Wiiリモコン、センサーバーも開発。Wiiチャンネルの「毎日新しい」というコンセプトを提示、Wiiモーションプラスの提案も行った。










君島社長・宮本クリエイティブフェロー・竹田技術フェローの任天堂三頭体制が終了へ

竹田さんお疲れ様でした



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