
福祉に関わってきた者から言わせてもらうと、「本当に困っている人」だけを助けるってことは、助けを求める人に対して常に「本当は困っていないんじゃないか」と疑い続けることになって精神的に辛いんですよ、本当に
— meleb (@MelebMi) December 2, 2020
福祉に関わってきた者から言わせてもらうと、
「本当に困っている人」だけを助けるってことは、
助けを求める人に対して常に
「本当は困っていないんじゃないか」と疑い続けることになって
精神的に辛いんですよ、本当に
これなんだよなぁ
— 表情 豊 (@hyp39) December 3, 2020
「本当にしんどそうなときだけ助ける」とか、「本当にしんどい」ってお前が決めることなのか?とも思う https://t.co/hZpha7AFub
あぁ、これ…
— Yuri_Shiraga (@yuri_Riquadro) December 2, 2020
すごく本質的…。 https://t.co/gXjk82Uy57
これ本当に辛い。公的支援とか何でも当てはまる。本当に困っているという証明を年間何回もしなければならないとか、複雑な状況ほど説明がしにくいとか、「本当に困っている」と判断されるかという不安とか、色々ある。 https://t.co/fH39shSsJj
— 星野いのり Inori Hoshino (@kT7Jrvhnsq58RhA) December 2, 2020
ハッとさせられる。
— 直帰がベスト (@Chokki_is_best) December 2, 2020
「福祉を受ける資格」という歪んだ概念が生む圧力が、福祉の現場にもまた負の影響を与え得るという事実に、恥ずかしながら私は思い至らなかった。
福祉はその多少によらず生き辛さを抱える全ての人の物であり、本来そこに線など引けない、引いてはならない事を改めて確認したい。 https://t.co/GPO0vy2Plc
この記事への反応
・支援者としても当事者としても、
「真の当事者」なんてものを探すようになると
「本当に困ってない」「本当の当事者ではない」
という事になって排除ばかりになってしまう。
・既にあらゆる場でそうなってる。
だから困ってる人を助けるのは
基本的に自己満足でなければならない
・そして、「世間」からの「本当に困っている人」のジャッジは
際限なく引き下げられる傾向にあります。
時には、困っている人が別の困っている人をジャッジして。
・選別するコスト
・『本当に困っている』を判定するのが当の本人でなければ、
どこかしら傲慢ですネ。
困ったことのない人に限って
『自分だったらその条件でも別に困らないし』と主張するものです。
そうでなければ『自分が苦労したから他人も同じく苦労すべき』と。
いずれも価値観を押し付ける傲慢さがあります。
・本当に困ってるのに助けを求められない人もいますし、
困ってるかどうかってかなり主観的なことなので、
なかなか難しいですよね。
本人困ってないのに周囲が困りまくってるなんて場合もありますし…
・線引きを求められるのはつらいですよね。
困ってるかどうかは、困ってる人じゃないとわからないですしね。
他人から見て、本当に困っているようにみえても、
助けを求めない人もいるし、困ってないように見えても、
困っていると感じて助けを求める人もいる、ということですよね。
「助けを受ける必要や資格があるか?」
を他人からジャッジされまくるのはきついな…

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1. はちまき名無しさん
つまりお前が楽をするために無駄金使えと