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【訃報】漫画『ベルセルク』作者・三浦建太郎さん(54)が死去

故・三浦建太郎先生は『ベルセルク』の結末について、何度も話していた模様… 20年以上前にこう語っていた事も判明



Twitterより





要約すると

『ベルセルク』が6月24日発売の
ヤングアニマル13号から連載再開

次号から「幻造世界篇/妖精島の章」の
ラストまで、6話分を掲載
その後は新篇に入る予定

再開後のクレジットは
「原作・三浦建太郎 漫画・スタジオ我画 監修・森恒二」
となり、単行本のナンバリングも承継する形になる





森 恒二(もり こうじ、1966年11月28日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。男性。妻は漫画家のあっきう。『ヤングアニマル』誌上で連載されていた『ホーリーランド』は人気作となり、テレビドラマ化もされた。

小さいころから体格に恵まれ、親の勧めで入ったリトルリーグで野球に打ち込んでいた。所属していたチームは全国大会で優勝を経験している。本人は野球にあまり乗り気ではなく、家でのお絵描きのほうが楽しかったと語っている。中学1年時に『がんばれ元気』を読んで漫画家を志すようになった。

入学した高校で三浦建太郎と友人となり、両親がデザイナーであった三浦の家で共に漫画を描くようになった。技来静也も同級生だったが、当時は漫画を描いておらず、交流は無かった。森は両親との仲がうまくいかず、このころから下北沢などを遊び歩き、喧嘩に明け暮れるようになる。

大学は三浦と共に日本大学藝術学部美術学科に入学した。大学時代はグローブ空手の同好会に所属している。漫画の投稿も続けており、賞も獲得していたが掲載には至らず、ある編集者からストーリーは編集に任せて作画だけで良いと言われたことがきっかけとなり、スランプに陥ってしまい、六本木などで荒れた生活を送っていた。大学4年のときに三浦が武論尊の原作で漫画家デビューが決まったのは森の助言がきっかけだったが、自身は荒んだ生活の中で複雑な気持ちだったと語っている。

大学卒業後はデザイナーとして広告イラストやCMの絵コンテ製作などに携わっていた。25歳のときに鈴鹿サーキットで行なわれたF1の取材の帰りにバイクで大事故に遭ったのがきっかけとなって、再び漫画の道を志すようになった。自身の経験を元に、2000年から『ヤングアニマル』で『ホーリーランド』の連載を開始し、人気作となった。




この記事への反応

ま!?

森先生のメッセージ、読んで号泣。
何たる奇跡か。これまでは単行本派でしたが、これからは毎号買わねば!スタジオ我画の皆さまに渾身のエールを送ります。


もう見れなくなると思ってたから、ほんと良かった…

見届けたい

ベルセルク連載再開の由、嬉しすぎて打ち震えた……。遺志の承継、運命への反逆、まさに作品の世界観そのものだ。一生ついていきます!

うぁぁあああ…😭
いつまでかかるかわからないうえ完全な形ではないだろうし、賛否両論巻き起こるかもしれない…でも俺は喜んで最後まで付いていきます
最終回まで頑張ってほしい


やるのか。
なら受け止めるのがファンのやるべきこと。


本当に…本当にありがとうございます(´;ω;`)






連載再開で嬉しすぎる…



B09MVST5B6
三浦建太郎(著)(2021-12-24T00:00:00.000Z)
5つ星のうち4.8

B09ZXS6XH6
小林有吾(著)(2022-05-30T00:00:00.000Z)
5つ星のうち4.8