藤子不二雄A先生の評論を書いた同人誌を送ったら、御本人から礼状をいただいた。
— ブルボン小林 (@bonkoba) April 8, 2022
『まんが道』で若い二人が手塚治虫に手紙を送ったら、本人から直筆の返信が来て感激する場面があるが、自分が感激した、それと同じ振る舞いを下の世代に自然とされているのだと思った。 pic.twitter.com/ZafhlQneJX
藤子不二雄A先生の評論を書いた
同人誌を送ったら、
御本人から礼状をいただいた。
『まんが道』で若い二人が手塚治虫に手紙を送ったら、
本人から直筆の返信が来て感激する場面があるが、
自分が感激した、
それと同じ振る舞いを
下の世代に自然とされているのだと思った。
※『まんが道』は
藤子不二雄の出会いから
漫画家志望の青春時代を描いた
自伝的漫画
A先生が面白がってくれた。それなくしてブルボン小林という名義のその後の活躍(週刊文春連載、マンガエッセイ刊行、漫画賞審査委員、ラジオ活動)など到底なかった。
— ブルボン小林 (@bonkoba) April 8, 2022
マッチの火を紙に、木ぎれに、薪へと燃え広がせていく、その起爆剤として十分すぎる力添えをいただきました。ずっと感謝します。
この記事への反応
・通りすがりの者ですが、泣けてきました。
めちゃめちゃ共感しました!
素敵なお礼状を公開して頂いてありがとうございました!
・なんて素敵なお話☺️✨素晴らしい方だったんですねぇ🍀
・ウオー!?俺もハガキで感想出せば良かった。
そんな知恵の欠片もなかった愚かさを
今猛烈に悔しく思います。
・年を重ねていく中で心がけたい振る舞い。
・もう、字からして「A先生のマンガと同じだ!!」って感じ。
・これは素敵なエピソード。
安孫子素雄さんの人柄が偲ばれるし、
当時の世相も読み取れるお手紙。
・自分が藤子不二雄A先生だったとして、
こんな振る舞いができるだろうか…?
連載もあって、付き合いもあって、ゴルフもあって。
「まぁそのうちに返事を書こう」とか思って
先延ばししてしまいそうな気がする。
手塚治虫先生といいA先生といい
超売れっ子で多忙なのに
ファンをめちゃくちゃ大事にしてて泣けてくる…
自身が昔感激したから
下の世代にも同じ事してるんだろうなあ
超売れっ子で多忙なのに
ファンをめちゃくちゃ大事にしてて泣けてくる…
自身が昔感激したから
下の世代にも同じ事してるんだろうなあ

ハットリくん昔好きだったけどAの方が原作と知って好きじゃなくなった
ほんとすこ
なぜ記事で既に語られていることをもう一度書いたんだ…?
藤本は最初から就活すらしないで漫画一本だった
器の違いがその時点で大きすぎる
デンジャラスじーさんの方が神対応
やっぱりそれを下の世代に返さないとね
藤本先生は就職はしたんだよ、1日で辞めたけど。辞めて後が無い状態で漫画一本に絞った。
我孫子先生は新聞社に勤めながらでも漫画は描けるし、実際描いてたから直ぐには辞めなかった。
愛しりそめし頃に、はイマイチだったな
何度も何度も、原稿落として干された経験から締め切り守るぞ、寺田ヒロオは俺らの兄さん、手塚治虫尊敬
のシーンが繰り返される
その現物を見せてもらったが、酉年だったせいか、大きな鳥に多数の藤子キャラが乗って新年の挨拶をしている絵柄だったが、鳥はどう見てもA先生の絵柄だった。ツノがあるし
昔は新聞にイラスト描く仕事があったからな
同様に「魔太郎が来る」もライトになっている。昔は復讐する人物の命を奪っていたが、今は怖がらせる程度の軽いお仕置きになっている
松本零士が割と近くに住んでたのは結構驚きだった
A先生・・・
偉大過ぎるだろ・・・
感想としては、キモヲタ共がもてはやしていたバクマン(笑)なんて
ゴミカス以下の漫画だったという事がわかった
ほんとこれ。これが格の違いだよなぁ、、
最近の奴らはすぐ自己顕示用クソツイートしたり「儲かりました!口座がバグりまた!パクりました!笑」とかキメェんだわ
バクマンはわりと「ええ・・・」な評価多かったと思うけど
wwwwwwwwww
手書きだったり印刷だったりカラーだったり
共通していたのはサインは直筆だった
そいつがバクマン嫌いなだけで
キモオタが持ち上げてたことにしたいだけや
まあお咎めなしってことはないにしても
だからダメなんだよゴミクズが
バーカ。
糖質特有の粘着だな。哀れ
> 通りすがりの者ですが、
これ臭すぎて草