
自身の母の命日。
自死遺族の集会に通ってみた時期、精神分析、育児や創作を通して自分と向き合い続けたこの10年で学んだこといろいろ。
— 宇多田ヒカル (@utadahikaru) August 21, 2023
死に正しいも正しくないも自然も不自然もない。
何かをすると決めた人間がそれを実行するのを周りがいつまでも阻止するのはほぼ不可能。…
自死遺族の集会に通ってみた時期、精神分析、
育児や創作を通して自分と向き合い続けたこの10年で学んだこといろいろ。
死に正しいも正しくないも自然も不自然もない。
何かをすると決めた人間がそれを実行するのを
周りがいつまでも阻止するのはほぼ不可能。
今知ってることをまだ知らなかった時を振り返って
「ああしていれば」「なぜ気づかなかった」
と自分を責めるのはまだ手放す準備ができていないから。
人が何を感じてどんな思いでいたか、
行動の動機やその正当さなんて、
本人以外にはわからない。
わかりたいと思うのも、わからなくて苦しむのも他者のエゴ。
「理解できないと受け入れられない」は勘違い
(恋人に別れを切り出されて理由と説明をやたら
要求するひと的な、一種のパニック状態)で、「
受け入れる」は理解しきれない事象に対してすること。
理解できないと理解すること。
人が亡くなっても、その人との関係はそこで終わらない。
自分との対話を続けていれば、故人との関係も変化し続ける。
参考になるって思う人が一人でもいたら書いてよかった。
みなさん良い一日を👩🏻🏫♡
この記事への反応
・理解できないと理解すること。これはとっても深いですね。仰るとおりだと思います。
・人がなくなることは、ただただ悲しい。
関係のある人の記憶の中から、消えるこのことが本当の意味での亡くなる。お盆ってそういう点で、去ってしまった人を生き返らせる、大切な日なんですね。来年も会いに行きます。お盆じゃなくても。
・拝読しました触れにくいことを発信していただき、ありがとうございます理解できないと理解すること、本当にその通りだと思います
・ほんとその通りですね。
昨年2月に母が亡くなり、ずっと後悔している事があるのですが、むしろ母の事を忘れない為にこの想いを手放したく無いという感情があるなと気付きました。
・私は知人を自死で亡くしたことがあり、また自分もそういった願望に囚われた時期があるので、宇多田さんのお言葉が心に沁みます。
「理解できないと理解すること」、本当にその通りだと思います
手放す準備ができてない。なるほどなぁ


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