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Xより




「学校は嫌な同級生や先生がいるので通いません」
「勉強は嫌なので家庭学習しません」
「ゲームが好きなので1日ゲームしてます」

...といった『嫌な事が出来ない子』が
精神科外来のかなりの割合を占めるようになってきた。

彼ら相当の子は、果たして30年前に存在したか?
当時どう扱われていた?







「昭和は体罰で解決してた」ってのは"更生"できた方の生存バイアスが入っており、またその後平成には「DV(引きこもりの子から親に対する家庭内暴力)」が社会問題化していた事、双方の暴力を廃した結果が令和の今だという事は指摘しておきたい。
















この記事への反応



怠惰と評価して根性論的に処置するよりより、障害として評価して科学的なアプローチで対処する方が実は良いのかもしれない。

当時は学校行きたくない。っていうと、母親が布団を無理やりはがして、蹴っ飛ばされて。。。学校に行きました。

わいも昔そうだったなぁ。
今となっては普通にゲーム感覚で楽しく仕事してるよ。
ゲームと仕事って何が違うんだろう?
要素は全く同じだとおもうけどな。
わいら中毒の如く仕事してるよ。昔ゲームやってた時みたいに


まず、存在していなかった。
1980年代だと、
親の圧力が強すぎて、
そういうバカな主張は、
粉砕されていた。
「ワガママ(とみなされる)」
は、
「個性では無い(個性とかどうでも良い)」
でしたね。


正直、その手の子どもたちがおとなになって「働けません、嫌です、生活保護とか障害年金とかください」って言われても、ほんとに嫌なんですよね。
共同体に貢献してきた高齢者への支給すら削る方向なら、貢献ゼロな人たちなんて支給しないでここ(日本現世)ではないどこかへと行ってほしい。


1990年だとヤサグレやチーマーのイメージでしょうか?🤷‍♀️
女子は援助交際を初めてその日暮らしとか🙎‍♀️
今思うと1980年代には無かったような崩れ方をして行ったと思います。その背景には、経済の停滞、先の見えない中、意味不明な楽観と不安が交錯していた時代だったと思います。


それが精神病なのか甘えなのか判断が難しいですね……
甘えだった場合に許されたとき、どういう大人になったか見てみたいですね


なんかさあ、精神科の敷居低くなって羨ましいわ。
ワシ(昭和後期)なんて不登校だろうが何だろうが偏見偏見で(まあクソ田舎やし)絶対連れてってもらえなかったし
最初にメンクリ行ったのは成人して自殺未遂してからやなあ


昔からうすらバカとかづつなしとか穀潰しとかいかず後家とか家事手伝いとかおじろくおばさとか色々言葉は残ってるので精神科に通わずに引きこもってたか不良になってたか男性だと寺や相撲部屋に預けられたとかそんな感じでしょうね。

酷いのは「嫌なことなんか当たり前にあるんだからある程度は耐えたり流したり発散したりしつつちゃんと学校に行かないといけない」とかいうクソクソクソ当たり前の事実を隠して「嫌なことからは逃げてもいいんだ」とかいう無難で当たり障りのないのが流行ったことよな




そういう人でも一応生きていける世の中なのは良いことなのか悪いことなのか・・・







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冨樫義博(著)(2024-09-04T00:00:00.000Z)
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