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話題のツイートより






美しく精緻な筆致ですが、
この肖像画は近代や中世のものではありません。

紀元前1世紀から紀元後3世紀頃の大昔の肖像画です。
古代エジプトでは、死者のミイラと共に
生前の姿を描いた板絵を埋葬する習慣がありました。
その板絵が出土された姿がコレなのですが、
この時代にこの技術力。信じがたいです。





しかも庶民の棺のほうがこういう板絵なんですよね。
お金持ちだと立体的な、
いわゆるお馴染みのエジプト風の棺なんだけど。
絵のほうが安上がりということなんでしょうけど、
職人さんもたくさん書いてるから腕が上がったんだろなー。






ミイラ肖像画 - Wikipedia

ミイラ肖像画はエジプト各地で発見されているが、ファイユームのハワーラ (en:Hawara) とアンティノポリス (en:Antinoopolis) から出土した肖像画がとくによく知られており、ミイラ肖像画の総称として「ファイユームのミイラ肖像画」と呼ばれることもある。死者に麻やパピルスを貼り付けて石膏で固め、その上から肖像や装飾を描く風習はエジプト第1中間期まで遡ることができるが、ミイラ肖像画はエジプトが古代ローマ帝国の属州だった、紀元前1世紀ごろから発展した風習である[1]。

紀元前1世紀から1世紀前半にかけてミイラ肖像画が盛んに描かれたが、この風習がいつごろから見られなくなったのかは明確になっていない。近年の研究では、3世紀半ばごろまでミイラ肖像画が描かれていたのではないかとされている。希少な現存する古代の優れた絵画作品として、ミイラ肖像画は最大の規模を誇り、その後のエジプト国内の初期キリスト教時代(コプト美術 (en:Coptic art) のみならず、ビザンティン美術や中世以降の西洋美術における板絵へと、その伝統を伝えていった。

  


この記事への反応


   
画材はどんなものを使っていたのでしょうか。

↑エンカウスティークという技法らしいです。
溶かした蜜蝋を着色しそれを絵の具としたとか。


当時の地中海沿岸には割と阿部寛っぽい人がいたみたいですね。
  
逆にこの頃になるとミイラ作りの技術が低下(簡素化)した、
とも聞きます。
ヘレニズム/ローマ文化の流入で、
信仰のあり方が徐々に変化していったんでしょうか。


中世はキリスト教の教義にギチギチに
縛られた時代。暗黒時代と言われるのも仕方ないかも。も


現代エジプトの人たちとは違う
かつてのエジプトの人たち(地中海沿岸系)の肖像ですね。
興味深いです。


黄金のマスクより、
こっちのほうがよっぽど貴重な歴史的資料じゃないですか!?
当時の人がどんな顔だったか正確にわかる。




絵そのものもすごいけど
保存状態も驚きの良さだな!
古代エジプト人すげーーー


B09KV112BH
原泰久(著)(2021-11-19T00:00:00.000Z)
レビューはありません



B09KTVN3CY
山田鐘人(著), アベツカサ(著)(2021-11-18T00:00:00.000Z)
レビューはありません