
児童絵画教室で教えていたとき、自らの幼少体験から、決してやってはならない質問というのを決めていた。それは「なにを描いたの?」「なんのために描いたの?」といった、絵を説明させる質問である。児童たちは質問されてはじめて考える。だが、それは絵についてではなく、相手への最適解についてだ。
— 中島 智 (@nakashima001) October 12, 2020
児童絵画教室で教えていたとき、自らの幼少体験から、
決してやってはならない質問というのを決めていた。
それは「なにを描いたの?」「なんのために描いたの?」といった、
絵を説明させる質問である。
児童たちは質問されてはじめて考える。
だが、それは絵についてではなく、相手への最適解についてだ。
幼少期を思い出すと、オトナから「なにを描いたの?」と訊かれたら「(ここに描いたもん以外のなんでもねえよ!)うーん、わからない」と答えるか、適当に捏造して答えるしかなかった。たとえキャラを描いたとしても「オバQね?」と言われたら「(似とるけどコレはコレじゃろが!)うん、オバQ」と。
— 中島 智 (@nakashima001) October 12, 2020
オトナが、あるいは美術教師が「なにを描いたの?」と学生に訊くことで、学生に「なにを描くかをアタマで決めてから描かなければならないようだ」とか「描いたものは自分の責任として説明できなければならないようだ」といった、トンデモなく誤った〈制作観〉を植えつけてしまうことになりかねない。
— 中島 智 (@nakashima001) October 12, 2020
オトナが、あるいは美術教師が「なにを描いたの?」と学生に訊くことで、
学生に「なにを描くかをアタマで決めてから描かなければならないようだ」とか
「描いたものは自分の責任として説明できなければならないようだ」といった、
トンデモなく誤った〈制作観〉を植えつけてしまうことになりかねない。
高校の美術部の講評会とか大学入ってからの作品の講評会みたいのはたしかに説明して意識共有を図らなきゃならないので「何を描いたの?」的な質問は有効と思いますが、指導や教育する立場としては、まずは作業そのものの楽しさとか美術への興味を育てるべきですもんね…
— いと丸 (@Kiti_itou) October 13, 2020
美術教育をかじっている身として勝手に共感してしまいリプしました。失礼があったらすみません!
— いと丸 (@Kiti_itou) October 13, 2020
わぁ、これ
— ゆーこ🎨絵描きyukomagenta⭐︎ (@yukomagenta) October 13, 2020
凄くわかります。
大人になった今もたまに
何描いてるの?と聞かれますが
「絵です」
と答えてます😂
この記事への反応
・言葉で説明出来たら描きませんよね…
・何を描いてるのか聞きたくなるのは飲み込んだ方がいいんでしょうか…。本人から申告があれば大丈夫なのかな?
私は「いいねぇ描いてるねぇ」などの実況に留めているのですが、
ほんと絵の褒め方って難しいですよね(´・ω・`)
・児童の描く絵は大人になっては描けない絵で
だからこそ大人側が何を描いたか考えていくべきなんですよね
・何も考えずに描く落書きは今でも楽しいのに、
うまくとかキレイにとか真面目にやりだすと辛い理由は、
これだったのですね…
・できたものに対して説明と意味付けをしなければならないことに
心が折れてしまって、絵を描くのをやめてしまった。
美術大学まで卒業後したのに。
・私も幼稚園の時に、空に天使の梯子を描いて、
これは何?と聞かれたのをよく覚えている。
雲から差し込む光ですと説明したか覚えてないが、
理解してくれなくてがっかりした。
大人になってから、結構西洋の絵画で見ている。
・子どもが描いた絵を褒めるときは「頑張って描いたね」の一択です。
義務付けると読書が嫌いになる
っていう話と同じようなものかな?

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