20231207152724








Twitter(X)より









「推す」「推し活」というフレーズ。 "自然発生" していた頃は感じなかったけど、ここ最近の "商業路線に回収されバズワード化させられた" いまは、その変遷のタイミングで「妙な雑味」が乗ってきたと思ってて。最近、そのDiff(差分)を気にしてる。

「萌え」の時と同じように、 "商業路線に発掘された結果" として、廃れていくのではと思ってる。














この記事への反応



芥川賞獲った『推し、燃ゆ』、漫画なら『ミワさんなりすます』は、「推し」を純度高く表現してたと思う。その後からなんだろうな。雑味が乗ったとしたら。

ある集団のみに留まっていた感覚が、小説や漫画などの創作物で表現され、そこから世間に共有・認知され、それを契機に商業と結びつく。


『推し』という行為自体が、もともと人気商売としての商業主義の上に成り立つ概念なのに、それが一般化して「商業主義化した」というような分析自体が成り立ってないのではないかと思う。

コメントすいません。言語化ありがとうございます。私は推しがたくさんいるんですがなんか最近推し活疲れてきて。違和感というか興醒めというか。推し自体への興味は尽きてないのに。なので理由わかってスッキリですが、結局推し活文化にもやもやし始めました。

よく見るあなたの推しが見つかるかも?的なやつですね〜

イケメンずらっと並べられて「推せます!!!」「推しを見つけて!!!」ってされると萎える。

老若男女並べられた中でスッっと突き落としてくるくらいが一番いい。

そう、「自由な魂の発露」ってやつだ。


「萌え」文化はどっちかというと男性中心の発祥だったのに対して、「推し」文化は女性中心の波なので、どことなくこう「女社会的な」同調圧力みたいなそういう臭いは随分前から感じているところ

既存の商業路線に取り込まれた面はあるけど、個人的には、オタク自らも商業化、コンテンツ化を志向して「推される側」に回った/回ろうとしているように感じる。

商売は必要から発生し、規模拡大すると自己目的化していき、規模に応じた責任を問われるわけで、その領域に入った感じ。


マーケティングに使われると一気に嫌な感じになるよな〜

サブカルチャーの世界の言葉はマスコミに目をつけられた瞬間から急速に陳腐化していきますよね。
ドラマでキャラクターが使い始めるともうダメ。


「推しは推せる時に推せ」に違和感覚えるのこれだ
推すことは自由なので例え推しが引退しても推し続けることはできる。ただそれが金銭とかの具体的な形を持って届かなくなるだけで








企業が積極的に使い始めるとな・・・



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ソニー・インタラクティブエンタテインメント(2023-11-10T00:00:01Z)
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