
実家の寿司屋が安政2年からやってた店だったんだけど、初代の日記が残ってて、「噂に聞く清水の次郎長とかいうヤクザもんが食いに来た。お代を払わず平然と帰ったので。めっちゃむかつきました。肋骨折れればいいのに」みたいな事が書いてあるって、見せてもらった事がある。あの日記また見たい。
— KUNIO (@kunio9209) July 11, 2024
実家の寿司屋が安政2年からやってた店だったんだけど、
初代の日記が残ってて、
「噂に聞く清水の次郎長とかいうヤクザもんが食いに来た。
お代を払わず平然と帰ったので。
めっちゃむかつきました。肋骨折れればいいのに」
みたいな事が書いてあるって、見せてもらった事がある。
あの日記また見たい。
初代は万吉さんって人で、当時高級アイテムであったという金写真ってのを奥さんと撮影してて、金の薄い板に写真が印刷されたヤツなんですけど、店に飾ってたら県の資料館の偉い人が貴重だから展示したいので預からせてくれと言って来てどっかに展示されてるんだけど。あれ返してくれるのかな。
— KUNIO (@kunio9209) July 11, 2024
委託なら返してくれるよ、寄贈は無理かも
— パンクヘッド山極 (@koshimi_) July 11, 2024
清水次郎長 - Wikipedia
清水 次郎長(しみずの じろちょう、文政3年1月1日〈1820年2月14日〉- 明治26年〈1893年〉6月12日)は、幕末・明治の侠客、博徒、実業家。本名は山本 長五郎(やまもと ちょうごろう)。米問屋・山本次郎八の養子。
養家が没落したことで博徒になり、やくざ仲間で名をあげて清水に縄張りをもった。戊辰戦争の際に修理で立ち寄った清水港に逆賊船としてそのまま放置されていた咸臨丸(榎本武揚の率いる旧幕府艦隊の旗艦)の中から、新政府軍に殺された乗組員の遺体を小舟を出して収容し丁重に葬ったことから、次郎長のこの義侠心に深く感動した幕臣の山岡鉄舟と知り合い、旧幕臣救済のため、維新後は富士の裾野の開墾に乗り出し、社会事業家としても活躍した[1]。
のち、「次郎長伯山」と異名をとった三代目神田伯山の講談で「海道一の親分」として取り上げられたことから名が広まり、二代目広沢虎造の浪曲(ラジオ放送、レコード)、村上元三の『次郎長三国志』などの小説のほか、映画・テレビドラマの題材として多く取り上げられ、人気を博する。これらの作品群では大政、小政、森の石松など、「清水二十八人衆」という屈強な子分がいたとされる。
この記事への反応
・本物だったら多めの金額を置いて、
「釣りはいらねェよ!」
くらい言って欲しかったですね。
・歴史的価値のある資料かも🦁
・めちゃくちゃ面白そう。
日記って読んでると「あー、今の人間と変わらないな」とか、
逆に「現代の人間とここがちがうのか」とか、
人間という生き物の奥深さを感じられる格好の書き物だと思ってます。
・親分、お代は払おうぜ……
・庶民の味方じゃなかったのか。
・「噂に聞く」とあるから本人既に有名だったみたいだし、
その名を騙って無銭飲食するバカタレもいたような気もする...
(昔から有名人のニセモノが出るのは珍しくもない事だし)
・ムカつく人に「バチ当たれ!」と祈るのは、
昔も今も変わらんのやなぁと思うなどした( ˘ω˘ )
貴重な歴史的資料おもしろ!
大親分、案外せこかったwwww
大親分、案外せこかったwwww


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